月一回の瞑想クラス。春の心地よい陽気。朝から気持ちいい。今日は4人が来てくれた。終わったあとは様々な感想を聞くことができた。「考え事が最初はたくさん出てきても、徐々に思考がシンプルになってきた。悩みがなくなっていきそう」「考えがシンプルになりますよね」「怒りとかがコントロールできたら子どもに怒らなくてすみそう」「30分座ってすごくいい自信になった」「先月より、あっという間に30分が過ぎた。」今回もとても良い回になった。今日も気持ちが良い1日がはじまった。
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3月1日
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2月26日
モヤっとする出来事。実体験のない情報ベースの話、しかもその情報がSNSの情報だと分かってしまうと残念な気持ちになる。私にとって大切な、身体で感じるもの、思想の表現、暮らしそのものだったりするものを、ステータスや投資のように扱うような話をされた時も、モヤモヤとする。そうゆうときは、自分の心が侵されたくないような、大事なものを守りたくなるような、結局誰とも分かり合えないような気持ちになる。身近な人の言う事だからモヤッとするだけで、みんな捉え方や深さが違うのは当たり前な話なのだから気にすることはないのだけど。とにかくなにかを判断したり実行するときは実体験にフォーカスしたい。いつからか実体験のないものには意味はないとすら思うようになった。モヤっとした気持ちを抱えたままヨーガをしたら、やはり今起きている実体験しかなかった。誰かの言葉に、惑わされることはない。ただ実体験を積み上げていくことだと改めて自分に戻ることができた。プラーナヤーマのあと、深い落ち着きと、力がみなぎっていた。
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2月19日
今に意識を向け続け、身体の感覚に意識を向け続ける。75分間に全部の意識を身体に向ける。1日の約5%の時間を自分に全集中する。このたった5%、8時間寝ているとすれば起きてる時間の8%を、ヨーガに使う。短いのか、長いのか。心の手綱を引き続ける練習としては短いし、リフレッシュとしては長いのかもしれない。いづれにせよただ普通の日常を維持するのに、なくてはならない時間であることをつくづく実感する。
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2月18日
水曜の夜のクラスは2月から2名増えて、5名となった。少し人数が増えると集中のムードが増していく気がする。始めたばかりの方も、ゆっくりとした丁寧な動きが身についてきていて良い感じ。レッスンをすると、自分の練習がいかにインストラクションに直結するか、自分の感じる身体感覚をどのように言葉一つ一つに込めるか考える。
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2月16日
歴史の本を読んでいると、ヨーガはインドのもので、ヒンドゥーのものだ。インドの血も入っていない、仏教の国で生まれた私には、縁もゆかりも無いものだなぁと思う。私のヨーガの先生はお母様がインド人で、先代もヨーガの先生でヨーガを伝えていくことは運命であり使命であるのだろうと思う。私がヨーガクラスを行う意味とは。意味があるとすれば、自分のように心の性質によって生きづらさがあったり、自分と向き合うことを必要としている人に届くように、ということだろうか。
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2月15日
母とLINEをしていた。大腸ポリープの手術後、父と一緒にノロウイルスにかかり体調の優れない様子だ。「私も先日インフルエンザB型にかかってしばらく寝込み食事もできなかったよ、流行っているみたいだから気をつけてね。」といったところ、「あんたも結構病気するね。子供の頃から言ってるけど、風呂上がりの髪直ぐ乾か!!靴下直ぐ履く!!風呂入ったら体冷やさないように直ぐ寝る!!心掛けて。私は風邪はひかないよ。」と返事が来た。「わかったよ、ありがとう」でいいじゃないか。夫曰くこれは論理が飛躍したまは論点をすりかえるヒス構文というそうだ。ヒス構文を提唱しているお笑い芸人のネタを見て大笑いした。その片鱗はしっかりと私に遺されていてたまに思いがけない方向からの飛躍した発言に夫はゲンナリするそうだ。小さい頃からヒステリックをまともに受けてきたから、自己否定や被害者意識が強く、素直に言葉を受け取れないというのがあるのかもしれない。いやこれも単に考えすぎであって、体調の優れない状態の時に、顔の見えないLINEでは、余計なことも言いたくなるもんだよねと、流せるようになれば良いのだ。どちらにせよ、これは自分の問題だなと思う。
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2月14日
ヨーガのレッスンのあと、図書館に本を借りに行った。学びなおしたいという気持ちが強くあった。できる限り偏りがなく、わかりやすさを追求されていないもの、要約によって著者の色がつきすぎていないもの、分からなくてもいいから、難しいものを難しいままに読めるものを探した。ニュースで言えばコメンテーターのいないただのストレイトニュースのような本。心理学、哲学、読みたい本はたくさんあったが、興味のある本一つを引っ張り出して、わかった気になるのではなく、もっと一から学びたい。結局は、分厚い時系列の世界史の本に決めた。宗教でみる世界史、とか戦争から見る世界史とか、物でみる世界史とかそうゆう取っつきやすさは求めていなかった。わかりやすさゆえに面白くても自分の中にはなにも残らない気がした。哲学の歴史1古代を借りた。10近代まで読み進められるのかわからないけれどやってみようと思う。約20年ぶりに「アネネトハアマカヴァデコユテ」というローマ帝国の皇帝の名前を丸暗記するための呪文を思い出した。
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2月13日
正直者であること。嘘を付くことは長期的に見てコミュニケーションコストが高い。自分自身のアイデンティティを揺るがしかねないから。というのを聞いて、面白いなと思った。嘘は、アイデンティティの再構築に関わること、自己同一性が失われてしまうということなのかもしれない。無意識のなかに自分の中に残り続けて、本当の自分がなんだか分からなくなってしまうからかもしれない。だから、人格の統合を目的とするヨーガの基本的な修行法アシュタンガ・ヨーガでもサッティヤ誠実であることが重要とされるんだろうな。それを夫に話したら、あなたの場合、嘘をつけないことでいらないトラブルや摩擦を生むこともあるのでは。と言われた。面目ない。
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2月12日
ヨーガをやっても、たくさんの強い思考が生じる時。ここ最近、目まぐるしく色々なことがあり(それは良いことでもあるのだが)すこしアドレナリンが出ているような、興奮状態に近いものがあった。そうゆうときの気付きは、ただ穏やかであるとか安らかであるというよりは、確信のような、間違いなく自分を信じて良いんだと感じられるような、そうゆう感覚が生じて、考えがシンプルで、強固なものになっているように感じられる。あまり静かな思考にならなくても、よりハッキリと明晰なものに気づくような、ヨーガのあと残ったこと、そうだ!と思ったことをメモを取りたくなるような感じだ。こうゆう感覚も大切だと思うから記しておく。
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2月1日
今日の朝ヨーガ、月1回の瞑想クラス。3スーリヤナマスカーラからスタート。アーサナはいつもよりはほどほど、一つ一つの保持は長めに、しっかり身体を整えて、プラーナヤーマに。瞑想は30分。いつもどおりの動作からいつもどおりに瞑想。朝の静寂。集中力が持続、今日は3人の参加だったが、全員気配が消え、身体が全く動かない。完全に内側に入っている。終わったあと、身体の中心がぐらついてしまった、体の一部から粗雑な感覚があったなどいろんな感想があった。自分の頭に浮かんでくること、思考が見えてくる。ただ、朝はその日一日何も経験していないから、夜のクラスよりも考え事が少なかったなど、それぞれにとって良い経験になったみたいで、やってみて良かった。これから月1回を定期的に開催しようと思う。そのあと、cafeノジノの朝市にいってコーヒーと朝ごはんでホッと一息。偶然ヨーガクラスの生徒さんが集まって、賑やかに1日がスタートした。今日はそういえば誕生日で、40歳になった。ヨーガをして穏やかで安定した40歳がスタートした。ヨーガを始めた25歳の頃にこんな自分が想像できただろうか。感慨深い。
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1月31日
朝のヨーガ。身体が緩み、力が沸いてくる。プラーナヤーマで、胸の内側の動きを感じると、どんどんと力が沸いてきた。呼吸法のあとの、力強い感覚。ヨーガ・スートラでプラーナヤーマは生気を拡大していくこととされる。本当にそうだなと思う。
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1月27日
ヨーガのレッスンを受けたあと、ふと気付いた。不安をどんどん自分の中で膨らませていたこと。生活や未来への不安がいとも簡単に膨らんでいたこと。一時間ヨガをして、一日で肥大化した不安に気づけた。すごく安心した。
