あの日から15年が経ったなんて信じられない。あの日は会社で仕事をしていた。経験したこともないすごい揺れがあり、机の下にみんなで隠れた。大変なことが起こっていることだけは分かった。揺れがひどい。立っていられない、二階にいて、ここにいるほうが危ないと感じた数人で外に出た。ビルのロビーは天井が崩落していた。都庁前の公園はこのあたりで働くビジネスマンたちが避難してごった返していた。西新宿の高層ビルがグニャグニャと揺れて、そのたびにみんな叫んでいる。道路と電柱が波をうっていた。みな変な興奮状態になっている。天変地異とはこのことなのか?スマホも繋がらない。余震が少し収まったと思って、会社に戻った。宮城の方の地震だと速報が入り、仙台出身の女の子が泣き始めた。誰とも連絡がとれない。その後はもちろん仕事にならず、電車も動いていない。とにかく落ち着こうとする、終業時間になると会社に残って寝るという人もいた。新宿のビルの地下の居酒屋は、帰れない人たちで、混雑していた。私たちも会社の地下の空いているところに入って、時間を潰した。どうするか。もう、歩いて帰るしかないね?私たちはそれぞれの道を歩いた。私は高円寺まで歩いた。ヒールを履いていたことを悔やんだ。道は歩いて帰る人で大混雑だった。頑張ろう、って知らない人同士が励まし合っていた。途中のコンビニの店内は食料品が空っぽだった。途中で友人に会った。自転車でいまから彼女を迎えに行くと言っていた。お互い無事でと別れた。家では弟が必死に棚を支えたといっていた。それから数日なのか数か月なのか記憶がない。連日流れていた津波の映像しか頭の中に残っていない。私はどうするべきなのか、何をしたらいいのか全くわからなかった。会社では、今は普通どうり生活をするべきとか、経済を回しつづけることが私たちの仕事なのだとか言われて、本当にそうなのか、わからなかった。あの日の帰り道に彼女を迎えに行くと言っていた友人は、原発の放射線から逃げるため、この後すぐ彼女と北海道に移り住んだ。私はその時そのまま生活をするだけで精一杯だった。

コメントを残す