ここ数日、家業の手伝い、なかなかうまくいかないことが多い。計算作業、データ入力、HPの修正作業、SEOなど調べてやるが、もう最近はAIに聞いたほうがはやい。使いたくなくても使ってしまう、何という世界だ…。1日パソコンに張り付いていると、あっという間に時間が経っていて、一体何をしていたのか…と思ってしまう。緊張が染み付いて肩や背中が痛くなる。ヨーガだけが癒やしだった。事務仕事の人は肩が巻き肩、猫背、肩こり背中の痛みの人が、多い。ずっと同じ姿勢になっているし、集中してPCを見続けてブルーライトで交感神経も高まる。身体を動かす仕事は、精神的にもネガティブになりにくい。最近は身体を動かす仕事のほうが好きだ。
月: 2025年11月
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11月26 27 28日
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11月25日
今日は大変な1日だった。焦り、現状をどうするべきか、今後の人生をどうすべきなんだろうか、私たちは間違っていたのだろうか、と考えた。とにかく目の前の仕事をこなし、このままではまずいと、夜の鎮静ヨーガのレッスンを受けた。ゆっくりと身体を動かしていく。少しずつ、少しずつ身体に感覚が戻っていった。瞑想が終わったあとは、完璧に整った。心はしずか。ご飯を食べながら、パラレルワールドの自分は存在するのか、という話になる。國分功一郎さんによると、パラレルワールドは存在するらしい。だとするとやった自分と、やらなかった自分は一生平行線で交わらないのか。やらなかった自分が正解だったとは、誰が決めるんだろう。なんだかんだで、たくさんのことを知れたんだから、やらない後悔よりやった後悔だね、と話は落ち着いた。
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11月24日
1日作業の日。朝の9時から夜の7時まで。電気工事をどんどん進めた。まさか自分が電気工事士の資格をとって自分で屋内配線を施工するなんて、思いもしなかった。とにかく一発合格できたことは本当に良かった。実技の試験日のことを思い出す。本当に平常心ではなかった。試験というものも久しぶりすぎて、呼吸が荒くなり、何度も何度も呼吸法をやって落ち着かせた。ここぞというときのためのヨーガだ。
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11月22日
土曜の昼のクラスにまた1人メンバーが増えた。ヨーガを始めるのに、年齢は関係あるだろうか。やりたいと思った時、今やるべきと思ったときがその時。やろうと思ったということは、なにかそれなりのきっかけがあった、ということでもある。逆にやろうという気持ちになれなかったら、それはそうゆうこと。ヨーガの先生が、まだその季節にないということ。と言っていて、なるほど、いい言い方だなと思った。
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11月21日
ヨーガの体験レッスンがあった。格闘技をやっているという方。私のクラスでも格闘技経験者は初めてなので、とても興味があり色々聞いてみたが、絞め技などをやるそうだ。ヨーガクラスにいろんな方が来るのは、幅が広がってすごく良い。ヨーガをやってみたい理由を聞いてみたら「けっこう筋肉はあるんだけど、それが伝わっていかない感じがする」とのこと。なるほどむずかしいが、ヨガはぴったりだと思った。終わったあとは、「ゆっくり動かすのが、すごく疲れて、キツかった」と言っていた。やはり筋肉あるなしに関わらず、ゆっくり動かして、神経伝達物質を脳から筋肉に伝えていくのは、難しいし訓練の賜物だなと思う。
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11月20日
お世話になっているヨーガ教室でやっていた給与計算や事務作業。こっちに来てからもオンラインで続けていたが今月で辞めるため引き継ぎをした。色々やって10年ぐらいお世話になった。教室の形態も移り変わっていて、その中で私の仕事ももうあまりないなと思ったこともあるが、なにより、自分の抱える仕事や活動をシンプルにしたいという気持ちがあった。抱え過ぎはかえってまわりに迷惑になるし、自分のやっている日々のことをできる限りシンプルに、ルーティンにしたい。自分でやっているとすべて自分で考え決めて今日のやることを決めなければならないけれど、できる限り規則的に削ぎ落としたい。これもヤマ・ニヤマでいうアパリグラハ(持ちすぎない、執着しない)の実践のひとつかな、と思う。
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11月19日
自分でヨーガをやっていると、改めて、なかなか高度なことをやってるよな…いきなり最初からできるようになるのは難しいよなぁ、と思った。全く感覚のわからないところからのスタート、自分がどんな感じだったか思い出そうとする。
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11月18日
奈良美智氏が呟いていたけど、誰かに見られているというSNS特有の自意識は本当によくない。誰の目も気にせず、創作に打ち込むためには特にそうだと思う。SNSはすべての行為を薄っぺらくて意味のないものにしてしまう。SNSをやらない理由にハイデッガーを持ち出して道具が物体になることだからといった東大生がいたがなんとなくわかる。夫は店アカと個人アカを2つ作るようなのは統合失調症みたいなものだという。それは言いすぎだと思うがさっき裾野ヨガのアカウントを消した。なんだかそっちの世界にヨーガは要らない気がした。予約していた「置き配的」の発送通知が届いた。楽しみだ。
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11月16日
夫が、山田玲司のYouTubeに、ハタ・ヨーガ行者が出てくるから観ようというので、観てみた。ハタ・ヨーガ行者は、「ヨーガは自分を知ることだから、実は誰しもがやっているのだ」と言っていて、夫は「ほら!だから実は俺はヨーガをやってないように見えてやっているんだよ」という。なるほど、確かにそうかもしれないと思った。
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11月15日
土曜日のクラス。体験レッスンの方が来た。半年ぐらい前からやってみたいと思っていたところ重い腰を上げて来てくれた。何かを始めるのは、だれでもはじめは億劫だし、なにかの機会と思い切りが必要だなと思う。身体は硬くて少しきつかったかもしれないが、やらないと自分ではできないからと通ってくれることになった。体験レッスンの方がいるときは、誘導にかなりの集中力を使う。説明が増えることもあるが、ペースのキープと同時に周りの経験者の方の集中も乱さずように。誘導は自分の心のコントロールが大事だ。男性の生徒さんも増えていて、男性8名、女性11名ぐらい 男女比が半々ぐらいの割合。この雰囲気はとても良いなと思う。
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11月14日
母からの連絡でいろいろなことを考える。弟に荷物を送ったが柿とみかんが入っているのに何日も前から受け取らずやっと受け取ったという。
終活をしているが、とても自分では捨てられないと弟の写真や幼いころから高校生までの成績表まで一緒に詰めて送ったそうだ。母の過干渉、子への依存、死への不安。弟は一切の連絡を無視し受け取らない。弟は8年間実家でひきこもりをしていた。実家は崩壊寸前で、遠く離れたところから長年見守ってきたがもう見ていられないと決心。姉である私と夫のもとに来て、一緒に大変な日々を送り、なんとか自立したのが2年前のことだ。 ありふれた一般的な幸せな家庭だったはずでそれに感謝しかないものの、ひきこもりの根本原因を考えるうえで、家族のこと、父、母、弟、自分、血のつながり、環境、自分を形成している様々な要因をよく考えるようになった。また弟との暮らしで、エディプスコンプレックス的なことを考えたりもした。フロイトの精神分析には全然詳しくないのだが。
とにかく、私にとってなぜヨーガが大切なのか。感情のコントロールができない自分、すぐに鬱々としてしまう自分、不安になってしまう自分を、母を通して見ているからにほかならない。自分を知れば知るほど、自分の精神の発達段階に自分を形成してきたものにぶち当たる。私はそうはならないぞ。という抗う気持ちがどこかにある。
夜のクラスは相変わらず、静かで、落ち着いていて、みんなに成長が見えて、とても良かった。 -
11月13日 瞑想
今日の夜もプラーナヤーマのレッスンを受講した。ヨーガが終わったら食べれるようにしておくからやっていいかと夫に確認し、晩ごはんを準備してギリギリ間に合った。プラーナヤーマに良いアーサナが多かったからなのか、プラーナヤーマもかなり快適にできた。途中で、あ、換気扇を切り忘れたなと思ったが、立ち上がって消すよりも、このビンビンの集中力を途切れさせたくない、換気扇の音が聞こえないぐらいさらに内側に入っていこうと思った。音は完全に聞こえなくなった。プラッティヤハーラだ。瞑想はもうバチっと決まった感じだった。想念も少なく、ただただ、今からだでこころで起こっていることを観ていた。まだまだ瞑想していたい。あぁ、自分は瞑想が好きなんだ。と改めて感じた。想念が少ないのは、日頃の不安や考え事を自分なりには対処できているということなんだなと思った。今日は世俗と離れてヴィパッサナーに行った時と同じくらい集中できて、あー毎日ヨーガをやってると、日常生活を営みながらでもここまで集中できるんだ、と思った。
