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ヴィパッサナー瞑想コースでの経験

はじめに

2023/11/15~11/26 ヴィパッサナー瞑想の10日間コースに行ってきました。自分の中での記録を書いていましたがせっかくなのでシェアします。体験をシェアするといっても、実際にはシェアできません。実際の体験こそに意味があり、体験を何より重視するのがヴィパッサナー(物事をあるがままに見ること)だからです。

誤ったことを教えてしまわないよう、コースで教わった瞑想法は教えてはならないと言われますので、書けることだけを書いていきます。また経験は一人ひとり、全く異なります。全員が同じ経験をすることは絶対にありませんが、似たような経験をすることもあります。

ヴィパッサナー瞑想について

公式ページの文章を引用します。ーー↓

ヴィパッサナー (Vipassana) はインドにおける最も古い瞑想法の一つです。長い年月の間に失われていましたが、2500年前にゴータマ・ブッダによって再発見されました。 ヴィパッサナー とは、「物事をあるがままに見る」という意味で、自己観察によって自己浄化を行う方法です。まず心を集中させるために、自然な呼吸を観察することから始めます。そして研ぎ澄まされた心で、精神と肉体が常に変化しているというその性質を観察し、無常、苦しみ、そして無我という普遍的な真実を体験を通して学んでいきます。体験を通して真実を学ぶことが、心の浄化につながるのです。この道のりの全ての過程(ダンマ Dhamma)は、普遍的な問題に対する普遍的な解決法であり、宗派や宗教とは一切関係がありません。そのため、人種や社会的地位、宗教を問わず全ての人々が修行でき、時や場所も選びません。そして、どの人々も等しく恩恵を受けることができるのです。

ヴィパッサナーは:

・盲目的信仰による宗教儀式ではありません。

・知的、哲学的な娯楽ではありません。

・休息による癒し、休暇、社交のための場ではありません。

・日常生活における試練や苦悩からの逃避ではありません。

ヴィパッサナーとは:

・苦悩を根絶するための実践法です。

・人生において直面する困難や問題に、冷静でバランスのとれた態度で対処することができる心の浄化法です。

・個人が社会に積極的にかかわり貢献するための、生きる技です。

ヴィパッサナー瞑想法は、真の解放と完全な悟りという究極の精神的目標を目指すものです。瞑想の目的は、肉体的な疾患の治療ではありません。しかし心の浄化によって、精神に起因する様々な病が完治することがあります。 ヴィパッサナーは、すべての苦悩のもとになる3つの要因−欲望・嫌悪・無知−を根本から取り除きます。修行を続けることにより、心地よい感覚および心地の悪い感覚に心を乱して無意識に反応することで心につくり出された縛り目を解き、日常生活でのストレスや緊張をなくしていきます。

ヴィパッサナー瞑想はブッダによって説かれたものですが、仏教徒だけのものではありません。この瞑想法を実践するために「改宗」する必要もありません。すべての人間に共通する問題を解決するための方法は、誰にとっても役に立つものです。世界中でさまざまな宗教・宗派の人々がヴィパッサナーの恩恵を受けており、この技術が個人の信仰と対立しないことを証明しています。

ーー

最初はよくわからない文章でしたが、実践をすると、読めば読むほどにこの文章に全てが集約されていることに気づきました。

コースに行った目的

私は2016年の5月に1度目の10日コースを終了、2019年に3日コースに行きました。なので今回は3回目の参加となります。1回目の生徒を”新しい生徒”、2回目以降の生徒は”古い生徒”と呼ばれます。

1回目に参加した当時は、習っていたヨーガ教室の先生や会員さんなどから、「瞑想コースが良かったから人生で一度は行ったほうがいいよ〜」「瞑想ってどうゆうことなのかわかるよ、ヨーガで身体を作ってからいくといいよ」と話を聞いていました。またそんな時に最近行ってきたという人に何人も会ったり。よくインドに呼ばれるなんていいますが、ヴィパッサナーに呼ばれている?という気がしていました。当時は東京でストレスフルな生活を送りながらの生活でした。仕事でも心身を壊し、頑張って働いてきた中でこれからの人生に悩んでいた時期でした。

 なにがなんだかわからないけれど10日も瞑想したら何かもやもやした悩みが吹っ切れるかもしれない。と興味本位でコースに予約をしました。ところがとても人気のため、キャンセル待ち状態。コースが始まる前日の夜、「急に来れなくなった人がいるんですけど、明日の朝一これますか?」と電話がありました。驚きながらも「行きます!」と大慌てでスーツケースに荷物を詰め込み、早朝に茂原に向かったことを覚えています。

1回目の経験は一言で言えば、まるでジェットコースターのような10日間でした。今思えばきちんと修行できていたかは少々疑問ですが、様々な悩みも吹っ切れ、あきらかにその後のヨーガが変化した気がしています。

静岡に移住、コロナ禍を経て、仕事や生活環境が大きく変化しました。同時に考え方も変わったと思います。ヨーガクラスをはじめたことも大きな変化です。

そんな中、自分の中の心地よくない感情がうまくコントロールできないことや、ヨーガで瞑想をしていく上でも深い瞑想状態に入り自分の身体でもう一度学びたかったということが再度10日コースに行こうと思ったきっかけです。また私のヨーガの先生が最近2回目に行って、「1回目と全然違った。2回目からがスタートらしいよ!」と言っていたので、何が違うのか知りたかったのもあります。

いづれにせよ、きっと必ずなにか”気づき”があるだろうと思っていたので参加しました。

宗教ではない

瞑想コースに参加してきたと言うとちょっと心配されます。10日間だれとも連絡が取れなくなりますし、親族や職場にも一応その旨を連絡してからいきますので「大丈夫?10日も?洗脳されない?なんか変な宗教じゃないよね?」と、カルトなのではないかと確認されます。

結論からいいますと、宗教ではないので、聖書や経典はなく、信仰する対象もありません。瞑想の対象は自分の呼吸と身体感覚だからです。宗教法人でもないです。勧誘されたり寄付を強要されることもありません。唯一、講話の時間に法(ダンマ)=道徳についての話があります。道徳はよりよく生きるために当然のことなのでちゃんと聴いていましたが耳の痛い話が多いです。言葉はパーリ語が多くでてきて、仏教に通づるワードもやはり多いと思います。日本人は仏教の土台がありますので、内容は理解し易いと思います。

中には、ヴィパッサナー瞑想に人生を捧げているような人もいます。人生ヴィパッサナーありきなんだそうです。そうゆう人同士のコミュニティもあります。

どの世界も、極めていく人はいます。宗教ではなくても心の拠り所になっていればどんなものも信仰みたいなものだよな〜…と思います。

ヴィパッサナー瞑想センターについて

ヴィパッサナー瞑想センターは、世界各地に存在しています。現在は全世界にセンターが240、アフリカ1、アメリカ大陸31、アジア180、ヨーロッパ19、オセアニア9のセンターがあります。日本には、千葉と京都にセンターがあります。

S.Nゴエンカ師という、ミャンマー生まれの実業家が、世界中にセンターを作って広がりました。

ゴエンカ師は、実業家の家に生まれ、裕福な暮らしをしていましたが、お金がいくらあっても幸せになれないことに悩んでいたそうです。ひどい頭痛に悩み、世界中の医者に診てもらったが治らず、心が問題なのでは?とサヤジャウバキン(後のミャンマーの大蔵省大臣)の10日の瞑想コースを受けたそうです。瞑想の実践で頭痛が治り様々な事がうまく進み、世の中にもっとこの瞑想を広めたいとセンターを作ろうとします。インドでブッダが再発見していた瞑想法ですが、その頃はもうインドでは失われていて、(仏教では様々な観察対象が増えていて、土を観察する、死体を観察し続けるなど)純粋な形ではミャンマーにしか残っていなかったそうです。そこで、初のセンターをインドに作り世界へと広がっていきました。ブッダも王子として生まれたけれども幸せにはなれなかった人だったので、境遇がなんだか似ています。

ゴエンカ氏の強い希望は、無宗教、宗教との関わりを持たないこと、報酬を受け取らないこと、完全に無料であることだそうです。それによって純粋性を保ち、10日のメソッドを確立し、人種宗教別け隔てなく受け入れ、寄付だけで運営する。実業家だからここまで世界に広がったのだなと思います。昔から本当にお金がある人は慈愛があり知恵を分け合う精神がある気がします。

コースで出会った人の中には、初めてのコースをインドで受けた人、タイで受けた人もいました。インドやタイは寄付の文化なので施設はとても立派で、食事も日本より豪華でかなり美味しいんだそうです。バックパッカーの人たちはしばらくセンターで現地の食事を食べながら瞑想したりするみたいです。台湾にもセンターがいくつもあって今めちゃめちゃ流行ってるよ〜と台湾人の子が言っていました。次はどこで受けようかな!という話で盛り上がっていました。

瞑想コースは母国語で受けることを推奨されます。日本語が母国語でない人はiphoneを渡され、母国語で瞑想法や講話をききます。反対に日本人が海外でコースを受けるときも同様にiphoneを渡され、日本語で瞑想法や講話をきくそうです。海外での参加も面白いかもしれません。

費用について

合宿コースは、寄付のみによって運営されています。合宿の参加費用は、食費、宿泊費を含めて一切請求されません。

また、寄付は古い生徒(コースを終了した人)からのみ受け付けています。自分が受けた恩恵は誰かの施しによって得られたわけです。私も誰かのために施しをしよう、という純粋な気持ちで寄付をします。千円の人、数万円の人、数十万円の人、色々います。できる人はする、金額はその人次第。できない人はお金でなく奉仕でも良い。今できなくても、その恩恵に気づいたときでも良い。

ただ私は、おいしい菜食のご飯を毎食いただき、きれいな部屋で寝泊まりし、毎日シャワーを浴び、温かい便座でトイレをし、床暖房の入った場所で瞑想をさせてもらい、瞑想個室も与えられました。瞑想法についても学びがありました。生活にかかったであろう費用+αを次にコースに参加する人のために寄付してきました。

私たちは資本主義・貨幣経済の世界で生きていて、お金を払って物やサービスなどを受け取る、労働して対価を受け取るというシステムの中にいます。そうではなく与える精神で成り立っているところ、誰かのために純粋に働く人、を見ると固定概念がひっくり返ります。がやはり必要経費がないとコースは運営できないと想像します。このようなときはお金への執着は捨て気持ちよく寄付したいものです。

誰がこのコースをやってくれるのか

このコースを運営してくれるのは、全員古い生徒の奉仕の人です。コースの申込時に、奉仕で参加するか生徒で参加するかを選べます。

ご飯を作ってくれるのは、今回は女性5名、男性5名の奉仕の方がいたと思います。奉仕はボランティア。有志で無償です。その方たちも、自分たちの学びになることがたくさんあるからだと言います。大人数の食事の準備はめちゃめちゃ大変だそうです。ガーと働いて瞑想して、またガーっと働いて瞑想してという繰り返しは、日常生活に瞑想を持ち帰るのにすごく良いからやったほうがいいよ、と聞きました。毎日10時間以上坐り続けるというのは非日常ですから、その話には納得しました。

コースマネージャーという役割の人もいます。女性1名、男性1名、参加者のことを把握しています。コース中会話はNGですが、生活に関することをコースマネージャーにのみ相談できます。

そして、アシスタントティーチャーです。アシスタントティーチャーは瞑想の指導を助ける人で、瞑想に関する質問に答えたりチェックをしたりします。今回はご夫妻です。夫婦で10日を作れるのか?夫婦とも瞑想者ってすごい?と色々考えてしまいます。

どのようにしてアシスタントティーチャーになるのかはわかりませんが、20日コース(10日コースを5回・サティパッターナを1回・奉仕を1回で受講可)・30日コース、45日コースを終了し、60日コースや100日コースも経験している人らしい…とききました。すごすぎます。

一般の私達とはかけ離れた修行者の域ですが、出家しているわけではなく、あくまで在家のようです。

誰かのために働くこと、それ自体が修行ということだと思います。私も次回は奉仕で参加しようと思っています。

どのような人がコースに参加しているのか

女性  古い生徒が10人・新しい生徒が15人 男性  古い生徒が10人・新しい生徒が15人、に奉仕の人が15~20人ぐらいです。3/1が外国人です。日本人の人も元々バックパッカーだったり海外にいた人も多いです。ヨガインストラクターも多いですが、ビジネスマンや主婦の方、学生もいます。今回は、北海道や南の島から毎年参加している人、ドイツでアートをやっている人、オーストラリアに住みつつ旅をしている途中の人。家なし生活をしている人。脱サラし現在無職の人。僧侶のような人。都会でマインドフルネスをビジネスマンに教えているという人。スピリチュアルが好きな人。などさまざま。

コースの最終日、「聖なる沈黙」が解かれます。沈黙のまま日常に戻るのは刺激が強すぎるため、10日目は参加者と会話ができるようになります。皆が堰を切ったようにどうだったああだったと話すのはとても楽しいです。

中には、何十回もコースに参加している人、毎年必ず来る人たちもいます。その人たちは、朝1時間、夜1時間瞑想することを習慣化しており、年1回感覚を取り戻しに、また自分の人生の見直し・確認に10日コースに来ているようです。

「普段から感覚に気づいて苦悩に冷静に対処できているんですか?」と質問してみたところ「全然できないし、なんでこんなことで怒っちゃったんだろうってことだらけだけど、昔に比べたら半分ぐらいは、対処できるようになっているかな〜」とのこと。また別の人は、「私は渇望がすごくて気持ち良いこと楽しいことが大好きすぎてそれを抑えに毎年来ている」と言ってました。「毎回全然違うよ!回数重ねりゃいいってもんじゃないよ。本当に人それぞれだし。すごく集中できて最高の10日もあれば、全然座れない10日もあった。私先生に聴いたんだけど、1回目で宇宙に行っちゃう人もいるぐらいだから!」とのことでした。笑

生活環境

環境は最近ではコロナがあったこともあり、だいぶ良くなっていると思います。シャワーも改善されており、ドミトリーも個室になっていました!瞑想ホールも床暖房が入り修行にしては良すぎる環境です。

ドミトリー(個室ですが扉はカーテン)
音はするので静かにします。

ベッドと瞑想用の台(シーツ等は持参)

シャワー・トイレ・洗濯・洗面など(ほぼ外)
水場はやはり冬は寒いです。アウトドアをする方は苦にならないと思います。

瞑想ホール(グループ瞑想の時間はここ)

瞑想個室(古い生徒のみ自室のかわりに使える1畳ほどの個室)
瞑想個室も24時間新鮮な適温の空気が送り込まれていました。

持ち物
コース中に必要な物
以下の物は必ずお持ちください:
・掛け布団用と敷き布団用シーツ、枕カバーの三点(大きめのもの)※寝袋は、シーツの代わりに使用できません
・着替え(洗濯施設は限られています、脱水機のみ使用可)
・タオル類、石鹸・シャンプー(においの強くないもの)、洗濯用洗剤、洗面道具、歯ブラシセット、生理用品(女性)
・傘
・懐中電灯(夜間は暗いため)
・ティッシュペーパー
・ビニール袋 数枚 (各自のゴミ用、ゴミ箱の設置場所が限られているため)
・水筒 (飲み物は原則食事の時間のみ提供。コップ付きのものか、給湯ポットの注ぎ口に触れない広口のもの。ペットボトル不可)
・上履き 生徒:食堂用のスリッパ やサンダル奉仕者:キッチン用、防水(または耐水)で、滑りにくく、つま先が覆われた、清潔なもの・瞑想用座布団に掛ける布 2枚(60×60×5の座布団 を十分に覆える無地の布(黒、赤、華美な色は不可))
・瞑想時の防寒対策(体が覆えるサイズの厚手のショールあるいは毛布、衣服、手袋、帽子)※洗濯済みの清潔なもの※夏でも朝晩や冷房使用時に冷えることがあります  ※衛生管理上、現在センターでは毛布の提供はしていません※瞑想ホールは換気を徹底しているため通常時よりも室温が低くなります。十分な防寒衣類をご用意ください
・健康保険証、または、海外旅行保険の保険証券か付保証明書(思わぬケガや病気などで最寄りの病院に行くことになった場合に必要。どうしても持参ができない場合は、コピーでも可)
※センターでは、医療費の立替えはいたしません。
あると便利な物・脱ぎはきしやすい外履き
・長靴(雨が降ったとき便利)
・時計(瞑想個室と宿泊棟の一部では鐘が聞こえにくいため。アラームの使用は禁止。携帯電話、スマートウォッチは不可)

ピッタリとした体のラインが出る服(スキニーパンツ、レギンスやスパッツ)を着用の際は、ふくらはぎ丈までの上着などを着用してください。ノースリーブ(肩が露出したもの)や、かがんで胸の谷間が見えるような胸元の開いたものの着用は、避けてください。ショートパンツ、丈の短いスカート(膝が出るもの)などは避けてください。パンツスタイルについては、坐った時に膝が出ないよう、くるぶし丈のものを着用してください。
瞑想ホールでは、衣服の擦れる音のするナイロンやポリエステルの衣服の着用は避けてください。

次の物は持参しないでください:
•書籍、雑誌などの読み物•十字架や数珠など宗教に関するもの全般•プレイヤーなどの電子機器•タバコ、アルコール類、•麻薬類

予約が入ると上記のメールが届きます。今回はさらに、以下を持参しました。
・洗濯用ハンガー
・パジャマ(瞑想中は家着ですが、寝る時との切り替えをしっかりするため)
・あたたかいシーツ
・アイマスク
・うがい用コップ
・ネティポット(鼻うがい用)
・耳栓
・針の音がしない連続秒針の時計(瞑想に集中するため)

洗濯は手洗いなのと天気が悪いとできないため、服はできれば十分持っていったほうが良いです。とにかく快適に眠れること、余計な心配をしたり、なにかを借りたりしなくても良い万全な状態を作ると瞑想に集中できます。かといって、何か忘れても焦らず、平静にいることもまた修行です。

食事

食事は菜食の主に和食となります。肉、魚、出汁もふくめ動物性のものはでてきません。唯一、牛乳、バターはでてきます。
 基本的には、ご飯と味噌汁、漬物。ごま・味噌・生姜や調味料などがお置かれていて、自由に使うことができます。3日目・6日目・9日目の朝はパンだったように思います。ドイツパンのような味が美味しくてバターとジャムをたっぷり塗って食べてしまいました。お昼は、野菜カレー、パスタ、中華丼、肉豆腐の肉なし、揚出しのようなものもありました。バナナと豆乳でつくったマヨネーズが美味しかったです。タンパク質はほとんど豆腐、味噌などからになります。油の料理もほとんどありませんがオリーブオイルやごま油が置いてあるので、それをかけてアレンジしたり、柿のマリネを作ったりして楽しんでいました。
肉と魚がなくても、野菜が大量に入ったご飯はありがたいな〜と思います。野菜も高いですし。心身もどんどんデトックスされていく気分です。
 大体の人がコースが辛いと感じる日には、かりんとうや炊いたあんこがでてきたり、それを越えた翌日にはご褒美のようにカレーがでてきたり、ご飯で叱咤激励をされているようにすら感じます。
 食事の時間に並んで自分でよそいます。食べ過ぎるとその後の瞑想に影響して後悔しますのでお腹の4/3となるよう量を調節しながら食べます。少なめによそって何度もおかわりに行くのが良いです。
新しい生徒は夕方のティータイムでバナナ1とみかん1または柿1/2を食べることができますが、古い生徒は午後に食べ物をとってはならないため、朝ごはんの時にそれを食べます。古い生徒は午後に何も食べれないので、この生活も1週間ほど前から身体を慣らしておくと良いです。
 実は1回目のコースの時、食べなければ集中できる!とあまりご飯を取らず、少量のおかゆなど食べていてかなり痩せてしまいました。確かに集中できるのですが、様々なものが刺激的に感じるなど日常生活に戻ってからの適応がきつかったのです。その反省があったので、今回はしっかり食事をいただきました。食事をちゃんと食べても瞑想できること、日常に戻っても瞑想できることを目指し生活していました。

時間割

コースの最中は、時間割通りに動くことを求められます。実践を継続、最大の成果を得るために決められた時間割。

午前4時       : 起床

午前4時30分~6時30分: ホールまたは自分の部屋で瞑想

午前6時30分~8時  : 朝食と休憩

午前8時~9時    : ホールにてグループ瞑想

午前9時~11時    : ホールまたは自分の部屋で瞑想

午前11時~12時*   : 昼食

午後12時~1時    : 休憩および指導者への質問

午後1時~2時30分  : ホールまたは自分の部屋で瞑想

午後2時30分~3時30分: ホールにてグループ瞑想

午後3時30分~5時  : ホールまたは自分の部屋で瞑想

午後5時~6時    : ティータイム

午後6時~7時    : ホールにてグループ瞑想

午後7時~8時15分  : 講話

午後8時15分~9時  : ホールまたは自分の部屋で瞑想

午後9時~9時30分  : ホールにて質問

午後9時30分    : 就寝

4時起きができるのか、まず心配になると思います。普段起きるのが遅いと、適応するのに4〜5日ぐらいかかってしまうので、私は1週間ほど前から身体を慣らしてから行きました。1日目から4時前にスッキリと起きられる状態でした。慣れていないと適応するのに4,5日かかるため、そのほうが良いスタートダッシュが切れます。なにせ修行は10日しかないからです。

 睡眠時間は6時間半ぐらいですが、他の時間はほぼ瞑想、瞑想は睡眠と同等の効果があると言われています。十分なほど眠れます。もし眠れない時間があっても、焦ることなく、布団の中で瞑想します。寝る瞬間まで瞑想、起きた瞬間から瞑想。良い練習になります。

計算してみたら、瞑想している時間は10時間以上、講話も入れるとかなりの時間坐っています。

信じられない時間坐って身体がおかしくなるんじゃないの!?とよく聞かれますが、身体に痛みがないとはいいません。坐っているときの身体や心のの変化も含めてヴィパッサナー(物事をありのままに見ること)であると思います。しかし「苦行ではない」ということがポイントです。クッションを置いたり工夫をして坐ります。使い慣れている瞑想クッションを持っていってもいいと思います。

 やはり股関節から痛みはやってきて、、この痛さといったら。けれど昔に比べたら全然楽だったので、アーサナの練習がここに来て効いている気がしました。

坐法については、ゴエンカ師は、パドマアーサナかアルダ・パドマアーサナをおすすめしていましたが、スワスティカアーサナが安定するのと、たまにやるゴムカアーサナが安定して気持ちよかったりといろいろと工夫して座りました。

2日目のことです。2:30~3:30の時間 なかなか眠気に勝てず困っていました。ところがその日18時以降の集中力がすごく、1時間の瞑想が10分ぐらいに感じられる。集中してやればあっという間に10日すぎるかもしれない。そうか、頑張ろう!集中してやろうと思えました。今回は自分でも驚くぐらい、気合が入っていました。

1回目のときは正直とても辛かったので自室で瞑想の時にはサボるときもあった気がします。今回は絶対に10日しっかり学んで帰りたいという気持ちがあったので、瞑想個室に閉じこもり、休憩時間もやることが終わればすぐに瞑想に戻りました。

効果は歴然です。真面目に時間割通り、懸命に働くことがいかに大事なのかが良くわかるコースになりました。

どのように瞑想法を指導されるか

スマホ、読書、娯楽に関するものはすべて預けます。筆記用具もNGです。全ての情報をシャットダウンする必要性はやってみてよくわかります。スマホをいじりながら、だれかと喋りながら、では絶対に至れないであろう集中状態へと入るからです。

瞑想法の指導は、ゴエンカ氏がインド訛りの英語で指導するテープを再生して行われます。面白いのは、10日をかけて、大体の方が同じ経験をし、精神状態を言い当てるかのようにテープが流れることです。「あなた今日は辛くて辛くて、嫌悪に苛まれて大変だったでしょう?」と言われたり、「あなた今日は気持ちよくて恍惚感に浸っていたでしょう?」疲れて来る日には放棄したり諦めないよう、「明日からヴィパッサナーがついに始まります、修行の手を緩めずに働き続けなさい」と発破をかけてきます。

テープなのになんで分かるの!?…と不思議に感じますが、それだけ完成されたメソッドなのでしょう。

テープを聴いている時に、やり方について疑問が湧いた場合、1日に2回、ゴエンカ氏の任命を受けたアシスタントティーチャーに質問することができます。質問内容は瞑想の実践に関することに限られ、理論や哲学的な論争は控えます。アシスタントティーチャーはかなりの実践を積まれた方なので、本当に頼れる存在です。

分からないことがあったら遠慮しないで聞きに行こう!と思っていたので4回ほど質問にいきました。

聖なる沈黙のルール

聖なる沈黙の間、すべての生徒は、コースの開始から最終日の午前中まで聖なる沈黙を守らなければなりません。聖なる沈黙とは、身体・言語・精神の沈黙を指します。ジェスチャー、手話、メモ書きなど、一切のコミュニケーションは禁じられています。また、接触も禁じられています。たった独りで修行をしていかなければなりません。

ちょっとぶつかって、「あ!すいませんっ!」 という会話ですらもNGです。

自分の行動が他の人たちの迷惑にならないよう、細心の注意を払い、一方で、集中力を妨げるような他の人の行動には気をとられないことが鉄則です。

1回目のコースの時、私はこれができませんでした。周りの人のこと、他の人の行動が気になって仕方なかったのです。外側に意識が向いてしまっている証拠です。面白いほど想像が膨らみ、沈黙が解かれたあと、話してみたらイメージと全然違ったということも多々ありました。

今回は、古い生徒で戒律を破る生徒が、隣にいました。部屋で飲んではいけない牛乳と豆乳を部屋に持ち帰り、持参したプロテインを消灯後に飲み始めたのです。匂いにも敏感になっているし、音が聞こえる…笑 

しかし、全く気にしませんでした。何をしていても意識は内側に向け、周りのことは気に留めず、自分の修行に集中しました。

身体の感覚を観察することは、無常を身体で理解すること

 ヨーガの時に身体を動かしているとき、戻るとき。伸びる、縮む、圧力、弛緩、など様々な感覚を感じると思います。動かすことでその感覚を作り出して、観察をする練習をしているわけですね。シャワアーサナの姿勢で頭のてっぺんから足の先まで意識を流して観察をするとき、身体は動かしていないけれど、感覚を感じていることと思います。身体の感覚は四六時中どこかで生じています。熱さ、冷たさ、重さ、かゆさ、圧迫、収縮、痛み、強い刺激、流れるような感覚、言葉にできない感覚、など身体の内部の生体反応は感覚を伴います。 

五感を閉じ精神を集中させた状態で身体の感覚を観察し続けると、これらの感覚がはっきりと微細に感じられます。普段は感じ取れないレベルまで鋭敏になっていきます。全身をくまなく、そして意識を上から下に、下から上にと自由な流れで流すことが可能になってきます。

  説明には、精神と肉体が常に変化しているというその性質を観察し とあります。私達はこの自分の身体を一つの固体と捉えており、「私の身体」と認識しています。実際には私達の身体や世の中にあるものはすべて、分解していけば素粒子となります。素粒子は絶えず動き変化しています。それは科学でも証明された事実です。 身体の細胞は入れ替わり、生まれては消え、生まれては消え、ということを繰り返しています。感覚も生まれては消え、生まれては消え、を繰り返しています。素粒子レベルでそれを意識化することは10日ではできませんが、五感を閉じ精神を集中させた状態で身体の感覚を観察し続け、生まれては消え、生まれては消えていく感覚を自分の身体で自覚していきます。

これが、 ”無常(同じ状態はひとつとして無いこと一瞬一瞬が常に移り変わっていること)”を頭ではなく身体で理解することとなるのです。

今という瞬間に心を向けることがもっとも大切であるのに、いかに単調で難しいことかがそのうち理解できてきます。私達は時間の大半を空想に費やし、過去の心地よい経験や深いな経験を絶え間なく思い出し、未来への願望や不安を募らせる。心がさまよい続ける限り今の自分を自覚することができない。人間は過去にも未来にも生きることはできない。とゴエンカ氏はいいます。

すべての感覚には心がある

 私たちは実は、「意識レベルの意思決定をする前に、無意識化で意思決定をしている」のをご存知でしょうか。外部刺激により身体的な信号が生じると、この信号は刺激の価値を反映しており、意思決定を効率的にすることがわかっています。

このことに2500年前に気づいたのがブッダです。 私たちは、心で良い悪い好き嫌いの判断をしているのではない、外部または内部から刺激が生じた時に、五感と心を通して身体が反応をし感覚となって現れる。心地よい感覚、心地悪い感覚、どちらでもない感覚を作り出し、その感覚に心が良い悪い、好き嫌いの判断をしている、というのです。 つまり、身体の感覚は心と結びついていて、現在の精神状態をそのまま反映している、ゆえに身体を観察することは心を観察することと等しいとなります。

車好きが良い車を買ったとします。「嬉しい!」と思った瞬間に身体に感覚が生じます。その心地よい感覚をまた追い求めもっと良い車がほしい!と心が思います、これが【渇望】です。辛い経験をした時「辛い、悲しい」と思った瞬間に身体に感覚が生じます。また外部から刺激がありその感覚と似たような感覚が身体に生じた時、身体に心地悪い感覚が生まれ、それを嫌だと心が判断します。これが【嫌悪】です。

過去の経験とそれに対する感覚、感覚に対する渇望・嫌悪の心の反応は、身体にその感覚を刻むようになんども刻まれていき、繰り返し苦悩を生みます。

この瞑想法では身体に生じてくる心地よい感覚、心地よくない感覚、どちらでもない感覚に常に「気づいていること」を目指します。そして、その感覚に気づいている時、その感覚がどのようなものであっても、心地よい・悪いと判断をしない、ただただ「平静でいつづけること」を目指し、修行していきます。

苦悩の原因である、世の中にあふれる物、人、全てを消え去ることはできません。

それを刺激として受け取る五感を閉じることはできません。

またそれを感じて苦悩を生み出す心を殺すことは死ぬ時です。

よって、刺激に反応しない心を鍛えるのがこの修行です。

苦悩の根絶とは

 生じてくる感覚に、判断や評価をしないでただ、「気づいていること」「平静でいつづけること」は「物事をただありのまま見ていること」を続けていくと、苦悩を根絶することが可能になります。

観察を続けると、身体に粗雑な感覚があったり、消えない感覚、ひっかかりのあるところが現れます。さらに観察を続けていると、ふとした瞬間、感覚にくっついた記憶が鮮明に思い出される時があります。どうやらこれが、無意識下で自分の心にあるひっかかり、トラウマなのです。 私達は表層意識では当たり障りのない感情ばかりが現れますが、その奥底に潜む無意識の領域では、心の闇、恨みや嫉妬が渦巻いています。その自分を直視する。

苦悩が感覚となって表出する時、その感覚が消えていくまで観察を続けるとフッと消えていく瞬間があります。その時、過去に蓄積した苦悩が消滅し新たな心の反応を作り出さないことができる。この単純な行為が、ヴィパッサナー瞑想の苦悩の根絶であり、ブッダが涅槃に至った解脱への道です。

ヴィパッサナー瞑想は「心の手術」と呼ばれます。自分の感覚を観察し続けた時、自分の思いもよらなかった心の傷に対面することもあります。 1回目のコースの時は特に辛かったことを思い出します。3回目の今回も本当に思いがけない辛い記憶に対面し涙がでてきました。中には、過呼吸になってしまったり、泣き出してしまったりする人もいます。沈黙の中、共に坐る仲間を心のなかで頑張れと応援していました。

10日瞑想すると特別な体験をするのか

 よくある質問で、めちゃめちゃ気持ち良いんですか?と聞かれることがあります。笑 瞑想といえば幻覚を見たりドラッグをやった時のように気持ち良い状態になるイメージや、光が見えた!神様が見えた!宇宙と合一した!などのイメージでしょうか。特別な体験、スピリチュアルな体験を求める気持ちもわかります。

1回目のコースの時は、経験したこともない場所でいきなり修行を始め緊張状態です。自分の生き方、やってきたこと、苦しみの原因と向き合うほどに、辛く酷く落ち込んだり、かと思えばやはりその感情は過ぎ去り、最高に気持ちよく恍惚にひたりナチュラルハイな状態になったり。ジェットコースターのような経験を大体の方がしてしまうのだと思います。

特別な体験といえば、私の場合は四葉のクローバーを大量に見つけられるようになってしまったり(本当にたくさんを瞬時にです笑)ホールにいるのに食堂でお米が炊ける匂いがしたり。体中を自由に意識を動かせる気持ちよさや、快感、また、バンガと言う名の”自分の身体の内側と外側の境目がなくなり溶けていくような感覚”になることもあります。精神世界を探求したヒッピーやビートルズやビート詩人もLSDなどのトリップと深い瞑想体験に、共通性を見出していました。 瞑想は変性意識状態になるので当然のことでもあります。

しかし特別な体験を追い求めること、それ自体が渇望であり、苦しみを生む原因となります。どんな時でも平静で居続ける必要があります。

今回のコースは少し違いました。1日目から10日まで、常に「気づきと平静」に意識が向いていました。そもそも、外側に意識があまり向いていないので、ただ内側の感覚を何をしている時も観察していました。ようやくちゃんと修行ができたような気がしました。特別な体験もしましたが、それでも平静で居続けることができました。

ちなみにさき先に述べた溶けるような感覚、臨床的には、自分が極限まで小さくなって、自他の分離がなくなり、距離ゼロの俯瞰が実現した状態と言えるようです。見ている自分というものが本当にいなくなってしまい、でも、外の世界を感じ取ることができたとしたら、その自分が捉えている世界と、見たり感じたりする自分の間に入ってくるものがなくなります。そうすると、その場所でみていることになる。その結果、世界と一体になるという体験が起こるようです。

自分自身の体験を重視すること

感覚が鋭敏になり、意識が内側に向いて行った時、体中にさざ波のような、電気が流れていくような、ゾクゾクとしたような、振動のような、または言葉にできない感覚を感じる時、「あ〜なるほど。科学的には、シナプスとシナプスの間を流れるニューロンかもしれないし、生体反応と言われるものだろう。また一般的に、気、エネルギー、プラーナといわれるのはこの感覚のことを言っているのだろう。」そんなことを考えていました。

ヨーガを勉強していれば、そのようなワードを目にすることは自然なことです。 プラーナヤーマは ”プラーナ=気・エネルギー”+アヤーマ=”コントロール”の意味です。背骨や脊髄あたりを重視するのも、”気”の通り道だからです。 ただワードだけだと本当なの?と怪しく感じますが、実体験があって初めて理解が追いつきます。昔の人達は、このようにして身体感覚を言葉にして伝えてきたのだ、と納得します。

さらに身体全体に意識が自由に巡る時、自分自身の身体の内側と外側の境目がなくなっていくような感覚となります。溶けるような感じです。ブッダは2500年前、私達の身体、世の中に存在するものはすべて素粒子で構成されており固体ではないこと、常にに何千何万の素粒子が変化し続けていることに気づきました。「自然と自分は同じものだと自覚する=宇宙と自分は同じであると自覚する(梵我一如)」境目がなくなって行く時、まさにこれを垣間見たような気がしました。

私はこの感覚のことが気になってしまい、最終日の面談の際アシスタントティーチャーに質問しました。「このような感覚を気、エネルギー、プラーナと呼ばれているものかと思ったのですが、やはりそうなんですか?また脊髄に意識を向けるのは、やはり通り道だからでしょうか?」

先生の回答はこうでした。「名前をつけて感覚を感じてはいけません。それはあるがままを見ることではありません。また誰かが名前をつけた経験を自分の経験と混同してはいけません」

はっ!としました。名前をつけることは、そこになんらかのイメージが入ってきて純粋な観察を妨げます。また誰かの経験をすることは絶対にできません。自分の感覚だけをありのままに見続けることでしか、自分の経験はできないからです。 いくら理論を学んでも実践にかなうものはないと教わってきました。実践だけが意味をなす、それを身をもって感じました。

瞑想する時に、呼吸や身体の感覚を観察対象にすることもそのためです。 生きている間は自分だけに必ず生じ続けるもの、どこにいても観察できるもの、常に変化しているもの、イメージが入って来ないものです。世の中には、神様をイメージする瞑想、マントラを唱える瞑想、光をイメージする瞑想など様々あります。そのような瞑想は考えることをやめ、一つに集中をしていくことその瞬間に心の動きを止めることは可能となるでしょう。しかし、その心を動かしてしまう根本原因にまでは至れません。

呼吸や自分自身の身体感覚を瞑想の対象にする重要性を学びました。

メッターの瞑想

コースの最終日、「聖なる沈黙」が解かれます。沈黙のまま日常に戻るのは刺激が強すぎるため、10日目は参加者と会話ができるようになります。その日でヴィパッサナー瞑想は終わり、メッターの瞑想を行います。

メッターでは祈りながらの瞑想をします。

「生きとし生けるものへの幸せが訪れますように。

己の怖れ、苦しみ、憎しみ、嫌悪が消えてなくなりますように。

私の中の愛、慈しみ、平和、調和が分かち合えますように。」

自分の中の慈愛の心や、プラスの感情を養成し、前向きに生きて生けるように祈ります。この日は10日コースの集大成です。自分がただ独りで生きているわけではないこと、支えてくれる周りの人のおかげで生きていることに感謝することになります。

私たちは普段「私」という存在の中で、「私が◯◯」「私の◯◯」と自分の存在を大きくしてしまいます。瞑想を続けて、欲、怒り、不安、がなくなっていった時、自分がどんどんどんどん小さくなっていきます。「私のため〜」「自分だけのため〜」というものがなくなってしまいます。なにしろ観察しているだけだからです。そうなったときに自分の存在がどうなるか。自分のために生きるのではなく、他の人とのつながり、また生きとし生けるものへのつながりの中にしか存在しなくなります。

コースから日常に戻ったあとも、朝晩1時間の瞑想と年に1度の10日コースへの参加を推奨されます。また、1時間の瞑想が終わったら、5分間メッターをしなさいと指導されます。このように繰り返し訓練をしていくと、気づいたときには、悩み苦しみが減り、いまあるもので満足し、感謝の気持ちを持ち、驕ることなく、幸せに毎日を過ごせる日がくるのかもしれません。

まとめ ヨーガとヴィパッサナー

 10日の間には様々な経験をします。その過程で、フラッシュバックや自分の中の辛い経験、トラウマと向き合うことも出てきます。それも良い経験となり、きっと10日頑張って良かったと思える経験ができるはずです。なにか悩みや不安、自分のことがわからなくなっている時は一度自分を見つめ直し、今にフォーカスする良いきっかけになると思います。そしてヨーガ、瞑想の練習が大きく変わることと思います。

日常生活でもこの修行は続きます。人から聞いたことを信じてしまう、インターネットの情報を信じてしまう、さらにそれを自分の経験とあわせてねじれた解釈をしてしまう…そういったことをできる限り減らし、ただただ実体験を信じること、物事をあるがままに見る練習をします。

物事をあるがままに見る練習は、普段の私達の生活を余計な苦しみから解放し楽ににさせてくれます。”過去”のあの人、”今”のあの人は違うということもそうです。”過去”のあの人を思い出し勝手に判断しない。失ってしまった物に執着をしない、変わっていくことに執着しない。全ては、「無常」です。

また、ヨーガとの両立についても考えるところがありました。

ヴィパッサナー瞑想は、ヨーガとの両立が可能です。ヨーガでは瞑想の対象は特定されていませんので、瞑想の対象に、呼吸や身体感覚の観察にすることは問題ありません。ヨーガは瞑想していくためにアーサナがあり、瞑想のためにプラーナヤーマがあります。それなら、瞑想だけで良いのでは?という気もします。ですが、

・長い瞑想に耐えうる身体の筋肉を鍛える
・身体と心の不調和を解消する
・プラーナヤーマで変性意識状態となり自然と瞑想状態が訪れる。
これはヨーガだからできることであり、「日常で」社会生活を送りながら瞑想をするためにとても有効であるということです。
たった一時間のヨーガでも深い瞑想状態へと入れるのは、ヨーガだからこそです。

日常ではヨーガとヴィパッサナーを、年に1回は10日コースで日常から離れて根源と向き合う、そんなふうに練習をしていくと効果が高いと思います。

ご自身のヨーガや瞑想体験、また人生がより良いものになるよう、興味のある方はぜひ行って見てください☆

さいごに、奉仕の方々、コースマネージャー、アシスタントティーチャー、ゴエンカ氏、一緒に坐った方々、家族、ヨーガの先生、ヨーガクラスの皆さんに感謝します。長くなりましたが読んでくださりありがとうございました。

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